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コーカサスの発酵乳ケフィアの普及をライフワークにしていながら、私自身コーカサスに行ったこと がありません。私の知っているコーカサスは数千年も前からケフィア粒を継承しているという文献上 のコーカサスです。伝説の地コーカサスは私にとってあこがれの地ですが、そのコーカサスをバイク で旅をされた滝野沢さんに、コーカサスの今を紹介していただきました。(中垣)
コーカサス山脈の奥深く、スワネティ地方を訪ねて
滝野沢 優子
【著者紹介】
1962年、東京都足立区生まれ。信州大学農学部卒業、高校時代に旅とバイクに目覚め、大学時代にバイクツーリングにはまる。会社勤めを3年で辞め、世界中を旅したガイドブックやバイク雑誌で執筆。これまでバイクでオーストラリア1周、東欧1周、サワラ砂漠縦断、南米周遊、ユーラシア大陸横断、アフリカ 大陸1周、アジアハイウエイ走破。訪れた国は113ヵ国にのぼる。
コーカサス山脈の南に位置し、西に黒海、東にカスピ海と面するグルジアは旧ソ連邦を構成して いた国のひとつ。ロシアとアジア、中東への分岐点という要衝にあるため、古くから他民族による支 配を受けながらも、独自の文化、宗教、文字を守り抜いてきた強固な国民性が特徴である。
現在も民族問題などで政情不安が続いていて、2008年8月、グルジア内の南オセチア共和国を めぐってロシアと武力衝突し、多くの民間人が犠牲になったことは記憶に新しい。
日本ではそういう暗いニュースか、あるいは力士の出身地としてしか認知されていないグルジア だが、コーカサスの美しい山岳風景、黒海沿岸のリゾートなどの景勝地、洞窟教会やグルジア正教 の古い教会ほか世界遺産を7つも有し、観光資源が豊かな国である。本来ならば観光立国として発 展してもよさそうなのに、本当に残念なことだと思う。
蛇足だが、グルジアはワイン発祥の地としても知られ、特に赤ワインはかなりの絶品である。ボト ルのほか量り売り(1リットル100円~)でも買えるし、時期がよければ各家庭で仕込んだ自家製ワ インも賞味できる。
そのグルジアへ、2001年から2005年にかけてオートバイによる世界一周ツーリングの途中で2 度、訪れた。2001年当時、観光客の受け入れ態勢は整っていないし、停電や断水は日常茶飯 事、腐った警察や役人が多く、英語はもちろん通じない。決して旅しやすい国ではなかったものの、 2度目の訪問を決めたのは、グルジアの人々の印象がとてもよかったことに加え、コーカサス山脈 の山奥に位置するスワネティ地方へどうしても行きたかったからである。最初の訪問時は11月です でに山には雪が降り、バイクでスワネティ地方へ行くことは難しかったのだ。
スワネティ地方には勇猛な山岳民族のスワン人が住んでいて、コーカサス山脈の山懐に点在する 村々には「塔状の家」がニョキニョキと建ち、独特な景観を見せる。「塔状の家」とは、民族同士の争 いになったとき、家族や家畜も一緒に長期間立てこもるための要塞で、外から見ると大きな煙突状 の建物である。おもに8~12世紀にかけて造られたもので、さすがに現在は本来の用途で使われ ることはなさそうだが、破壊されることなく残っていて、世界遺産に指定されている。
メスティア村へ向かう途中でウシュバ山をバックに。
スワネティ地方はグルジアでも交通事情が特に悪く、中心となるメスティア村へは幹線道路からコ ーカサス山脈へ向かう未舗装路を250kmも進まなくてはならない。なんとか1日で行ける行程では あるが、私たちは途中で野宿をした。そこで見た何百もの蛍の光の舞! テントの周りを飛び回るい くつもの幻想的な光が私たちを歓迎してくれているようで、なんだか幸せな気分になった。
メスティア村の風景
コーカサス山脈をバックに塔状の家が聳える。
メスティア村にあるマルジャニ家で塔状の家の内部を見学させてもらった。
さすがに現在は本来の目的に使われることがないようだ。
翌日、何度かの検問を受けながらメスティア村に到着。時間が止まったような静かでひっそりした 小さな村で、宿はニノさんという女性が経営する小さなゲストハウスがあるだけ。ガソリンスタンドは なく量り売りで買う。ほかには小さな商店が1軒しかないが、雪を頂くコーカサス山脈をバックに「塔 状の家」がニョキニョキと建つ様は、世界のどの国でも見たことのない異様な景観で、長い道程を旅 してきたことを後悔させることはなかった。
メスティア村でゲストハウスを経営するニノさん。
もと航空会社だったか観光局たかに勤務していたので英語が少しできる。
息子にも英語教師を付けていて仕事にも教育にも熱心。
ニノさんの家は1泊2食付で7ドル。庭でキャンプをすれば5ドル。シャワーはちゃんと温水だしトイ レも水洗で便座もあって(便座のないトイレも多い)清潔。食事はピザ、肉入りのハチャブリ(グルジ ア版クローズドピザ)、ケフィアやチーズ、サラダ、ジャガイモをふかした料理など、バラエティ豊かで コストパフォーマンスはかなり高い。ニノさんはグルジア人にしては珍しく英語ができるしツーリスト にも慣れているのでトビリシの民宿よりも居心地がよく、私たちのほかにも数名のヨーロッパ人ツー リストが宿泊していた。
翌日、メスティア村のさらに奥、ウシュグリ村を目指した。2004年当時はメスティア村まで首都ト ビリシから1週間に1便、国内線が飛んでいたほか、バスもあったので、普通のツーリストでもなんと か来ることができた。ところが、ウシュグリ村へ行くには公共交通手段はなく、徒歩、あるいはいつ 通るともわからない車をヒッチすることになる。実際、野宿しながら歩いて行くヨーロッパ人のツワモ ノもいる。その点、オフロードバイクという交通手段を持っていた私たちはラッキーだったが、道はか なり荒れていて途中に川渡りや崖上のスリリングな箇所もあり、たった50kmを進むのに2時間以上 もかかった。
ウシュグリ村へ行く道、断崖の上の心もとない道。
そうしてたどり着いたウシュグリ村。スワネティ地方でも最奥の集落で標高は2300m、年間を通して人間が住む土地としては、ヨーロッパ大陸では最高所になるらしい。雪を頂くコーカサス山脈を間近に望み、石造りの家々が寄り添い合って建っている。塔状の家も密集して建っているのでいっそう異様な印象を受ける。世界遺産の写真で紹介されるのは、メスティア村よりもウシュグリ村のものが多いそうだ。もちろんここにも宿はなく、ニノさんに紹介されたダト・ラティアーニさんの家にお世話になることになった。
ウシュグリ村に到着、塔状の家がニョキニョキ。
ウシュグリ村再奥の集落、ダトさんの家もここにある。
私が訪れたのは7月初旬。日本の春のような気候だったが、冬は-30度にもなる極寒の地。しかも村への道はひどい悪路で崖崩れなどが起これば陸の孤島になってしまう。そんな秘境ともいえる山奥に250人もの人間が住んでいるのも驚くが、ちゃんと文化的な生活を送っているということに感動した。ダトさんの家もキッチンや部屋は質素ながら、応接間には豪華なシャンデリアや調度品、 大きな家具もあった。ソ連時代は生活水準が高かったグルジアなので一般家庭でもシャンデリアやピアノなどは普通にあるが、ここは山の奥の奥。あの山道をどうやって運んできたのだろう。もちろん電気もちゃんとあり、トイレは川の上に作られた自然水洗で清潔に保たれているのがすばらしい。
ダトさんの家族、全部で15人いるうち男はダトさんと長男だけ。
ダトさんの家の夕食、
ケフィア、ブルーベリージャム、ジャガイモ炒め、白いチーズ、パン、パスタ、
グレーチカ(ソバの実をふかしたもの)、ミルク、自家製ワインなど、ほとんど自給自足。
ウシュグリ村の風景、豊富な雪解け水が川に流れ込む。
ダトさんの息子の案内で村をめぐった。細い路地を歩くと村人のほかにヤギ、豚、鶏、アヒル、犬など、村に住む生き物のほとんどに出会う。厳しい環境ではこうして寄り添い合って生きていくのが術なのだろう。高台にある素朴な教会まで登ると、そこからは素晴らしい景観が広がっていた。山間に並ぶ塔状の家々、背後に迫る雄大なコーカサスの山々、そこかしこに咲き乱れる色鮮やかな 高山植物の群落。言いようのない感慨に浸りながら、私は長い間、その風景に見入っていた。
コーカサス山脈が眼前に迫る、思わず見上げてしまう。
ウシュグリ村に咲く高山植物、ハクサンイチゲの仲間?
野宿を含めて4泊5日と短いスワネティの旅だったが、3年9ヶ月、80ヶ国に及んだ長い旅の中で も特に思い出深く、5年経った今でもあのときの光景が新鮮に蘇ってくる。再び訪れる日を夢見つ つ、まずはグルジア情勢が落ち着いてくれるのを願うばかりである。
ウシュグリ村への道(クリックすると滝野沢さんの通った道の地図があります)