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「ミルクを食べる」古代トラキア人
アジアとヨーロッパが接するバルカン半島は、古来より「文明の十字路」とも称されてきたように、周辺各地のさまざまな文化や人びとが行き交い、あるいはこの地で混ざり合いながら、特色ある文化を築き上げた地として知られています。
バルカン半島東南部、現在ブルガリアを中心とした地域に、紀元前3千年以前からトラキア人と称された民族が暮していました。そのことは、ヘロドトスをはじめとする古代ギリシャの著述家が断片的に伝えていますが、その実像は長い間、謎のままでした。馬と黄金を愛し、不死を信じて戦いに明け暮れたトラキア人の残した遺跡と遺物は、現在多くの研究者の注目を浴びています。
またここは、ヨーロッパで初めて農耕・牧畜生活を導入して安定的な農村を生み出した地域でもありました。古代トラキア人の牧畜システムや乳加工体系は知りえませんが、ヘロドトスをはじめとする古代ギリシャの著述家の記述によると、トラキア地方は「肥沃な土地」や「羊の母」であり、トラキア人は発酵乳に馬の血を混ぜて飲んでいたといいます。
また、古代ギリシャでは、“北の野蛮人”と呼ばれたトラキア人に対して、"milk eaters"および "wine drinkers"という軽蔑的なレッテルで語られることが多く、「ミルクを食べること」、「ワインを飲むこと」はトラキア民族の識別ラベルとして使用されていました。つまり、ミルクと乳製品は、古代トラキア人の食生活において、とても重要な位置を占めており、ブルガリアにおける家畜飼養や乳加工などの在来技術は古代トラキアに起源をもっているといえます。
トラキア王、セフト三世の古墳(ブルガリア・カザンラク地域)
古墳の中
セフト三世の黄金の仮面